カテゴリー「心と体~帯状疱疹顛末~」の投稿

入院したときの顛末

2008年10月 1日 (水)

帯状疱疹顛末(その11)~入院5日目①

●4月20日(日)

夜中、急に部屋が明るくなったため、目が覚めてしまった。右眼はウィルス性の結膜炎に罹っているので、少しの光量でも眩しく感じる。コマネズミ爺さんが、トイレに行くためにライトを点けたようだ。

コマネズミ爺さんは背が低く、歩幅も狭いから、その分、足音の回数が多く、また、スリッパの足音なので、騒々しい。

用を済ませて部屋に戻ってきたかと思ったら、今度は、マグカップを持って、スタッフステーション前の冷水機へと向かったようだ。深夜の静まり返った病棟の中で、コマネズミの足音だけがやけに響く。

部屋に戻ってきてからは、しばらくライトを点けたままでいたため、「いい加減にしろよ」と思う。入院初日の家族の会話といい、いまいち気配りが欠けている。そこへ、巡回中のS木さんがやってきた。

「どうかしましたか?」

「おはようございます」

って、つまんねえぞ。おい。まだ1時半じゃねえか。ワタシはすっかり眼が覚めてしまった。

再び眠りに就くことが出来なくてイライラしていたら、やはり、この日も、3時半ごろからアタマが痛み出した。痛みが出る時間に規則性を感じるので、点滴の効き目が切れる時間なのかなと思う。この痛みが出ると、完璧に、眠りに就くことは出来なくなり、寝返りを打ちながら、朝6時の起床時間を待つばかりとなる。

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痛みとの付き合い方も分かってきたところで、ようやく起床時間。S木さんはメガネをかけての登場。メガネをかけても秋田美人です。

起床時の測定の際、S木さんが、

「ちゃんと眠れましたか?」

と聞いてきたのに対し、

「夜中の1時半ごろに物音がしてからは、眠れませんでした」

と答えるのは、まるで、学級会で発言する生徒のような気分。

それと、

「3時半過ぎぐらいからアタマが痛み出すんですけど、(病状は)良くなってるんですかね?」

と、弱音を吐いてしまう。それに対して、

「大丈夫ですよ!   ちゃんと良くなっていますよ」

と、諭すように話す姿は、やはり、小学校の先生のよう。

引き続いて、点滴。点滴をしていると気分が安静になれるのか、起床後の点滴の時間は絶好の二度寝の時間。2本立て続けに点滴を受けると、2時間ぐらいかかってしまう。その間に朝食が運ばれてきて、同じ部屋の他の面々は食べ始めているのだが、ワタシは、点滴のチューブが邪魔に感じるので、点滴が終了してから食事を摂ろうと決め込み、もう少し、横になることにする。

「もうそろそろ(点滴が終わる)かな?」と、点滴スタンドを見上げていたら、

「Burdさん、朝ごはんはどうしたんですか!!?」

と、この日の担当のマリエさん登場。入院5日目にして、実に3回目の担当です。

「あっ、点滴が終わってから食べます!」

と慌てて答える。マリエさんのあとに、すぐさまS木さんもやって来て、点滴終了。朝食を食べることにする。

食事をしながら、マリエさんが他の患者さんに話しかけているのを聞いていると、女子ゴルフの岡本綾子の話し方に似ている。ゴルフ中継をよく見るから印象に残っている。「岡本綾子の出身は広島だったかな?」ということで、マリエさんも中国地方の出身かなと思うが、口数があまり多くないところを見ると、北国出身のようにも思える。

そこで、食事後の測定の際に、マリエさんに出身地を聞いてみる。

「川口さん(仮名)、出身は西のほう?」

「石川です」

石川県だと、西のほうだし、北国とも言えるのかな。自分の予想に納得。

「石川っていうと金沢?   話し方でなんとなく、西のほうかと思ってね」

「訛りがなかなか抜けなくて・・・」

やはり、東京に出て来るということで、それなりにコンプレックスを持ってしまうのだろうか?   この辺の感覚は、東京で生まれ育ったワタシには分からないところ。

「俺の大学時代の同級生で石川出身の奴が、北國銀行に就職して、今は金沢に居るけど、若いうちは、大阪とか福井の支店に居たみたい」

「北國銀行って、大阪にも支店があるんですか?   知らなかった。ムーミンの通帳なんですよ。わたしの友達が就職したけど、すぐ辞めちゃいました」

「辞めちゃうのは勿体無いねぇ」

ホントは、ツール・ド・のとに参加して、ルネスかなざわに泊まったことがあることや、社員旅行で和倉温泉の加賀屋に宿泊して豪遊し、精算の時に現金が足りなくて泡を食ったことなど、ワタシ自身の石川県にまつわる話はあったのだが、マリエさんはマジメそうなので、そういった話は受け入れてもらえないと思い、無難に、石川出身の友人の話をしてしまった。過去2回のマリエさんの担当の際には、ワタシが弱りきっていたため、大した話が出来なかったが、熱が下がって、いろいろと話が出来るようになってからは、なんとなく明るい気分。

「あっ、Burdさん、そろそろシャワーに入ってもいいと思いますよ」

とマリエさん。昨日は身体を拭かなかったし、アタマも4日ぐらい洗っていないから、臭ってるだろうな。

「皮膚科の先生が朝の回診に来たら、(入ってもいいか)聞いてみます」

ということで、朝食後の測定終了。

しばらくして、皮膚科の2人の先生のうち、年長の先生が回診に来たので、シャワーの件を確認すると、患部のかさぶたを擦らない程度で洗ってもよいと、許可が出ました。

のちに、マリエさんも先生に確認してくれたみたいで、病室に来て教えてくれました。シャワー室の使い方なども教わる。

そして、また、給与計算のことを考え出す。

つづく

2008年9月24日 (水)

帯状疱疹顛末(その10)~入院4日目③

●4月19日(土)

仕事の話をされてしまったから、とても「見舞い」とは思えないような心境になってしまった。正直、うれしくない。

家族が帰ったあと、「いっそのこと、ケツをまくって、会社を辞めてやろう!」という気になる。叔父をはじめとして、他の従業員は、オヤジ以上に嫌いだ。ハッキリ言って、文句を言うくらいしか能がない奴ばかり。まあ、でも、その前に、直近の給与計算だけは何とかしよう。従業員の連中は、ガメツイというか、金に対して卑しいのが多いので、間違えると面倒だ。ベッドの上で、あれこれと考える。

しばらくの間、思案していたら、「Burdさん、目薬の時間です♪」と、看護師のわたなべさんがやって来た!手には、血圧計も持っている。

「先ほど測った時に血圧が高かったので、もう一度測ってみます♪」

まず、目薬。このわたなべさん、目薬を点す時に、手袋をはめずに、素手で対処してくれます。入院治療計画書によると、ワタシの眼は、ウィルス性結膜炎らしいのだが、大丈夫なんだろうか?

ついで、血圧測定。先ほど、妹に言われたことで、妙に意識して、緊張してしまう。

(数値を見て)「やっぱり高いですね~」

「入院したりして慣れない状況だと、緊張して血圧が高くなってしまうなんていうことはないですかね?」

「そんなことはないと思いますよ♪」

その間、心臓がバクバクで、血圧だけでなく、脈拍も高めだったと思う。おそらく、100を超えていたんではないだろうか。

ひと通り終わって、わたなべさんは、

「今日のわたしの担当は、これで終わりです。どうもありがとうございました♪」

と、一礼をしてから戻っていきました。さわやかに過ごそうと心がけたワタシの、さらに上を行くさわやかさ!

「あー、“若い”のに、しっかりしているなぁ」と、すっかり、オジサンは、わたなべさんがお気に入りになってしまいました。

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外出していたらしいコマネズミ爺さんが戻ってきて、元教師のT爺さんに、「駿河台下まで行ってきたんですよ」と、ダミ声で話している。

「駿河台下かあ。懐かしいなあ。高校生の時は、よく、神保町で降りて、三省堂や書泉(グランデ)に行ったなあ」と、ワタシ自身は20年以上前のことをふと思い出した。

コマネズミ爺さんは、「喫茶店で、美味しいコーヒーを飲んで来たんですよ」とも言っている。おそらく、タバコも吸ってきたのだろう。ゴキゲンだ。

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この日の夜の担当看護師さんはS木さん。向かいのベッドのT爺さんは、学校の先生だっただけあって、看護師さんの出身地を聞いたりしている。ちなみに、ワタシも出身地の話題は大好きである。

S木さん「秋田です」

すかさず、爺さんたちから、「秋田美人!」と声が掛かる。週末の土曜日ということで気分が浮かれるのか、病室の雰囲気は良いです。

ワタシのところに来たS木さん、色白の秋田美人です。ただ、ワタシまでもが「秋田美人!」などと言ってしまうとイヤミっぽくなってしまいそうなので、言うのは止める。また、S木さんは、話し方がハキハキとしていて、小学校低学年クラスの担任の先生のような印象。

「目薬、ちゃんと点しますからね」

ワタシの看護のメインは、目薬のようだ。

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夕食などを済ませたあと、給与計算の手順を具体的に思い出してみる。といっても、大した手順ではないので、自分一人で処理している際には、無意識のうちにやってしまうし、仮に、間違えた場合でも、計算ソフトが間違いを指摘してくれる。ただ、果たして、オヤジが処理した場合、問題なく出来るのだろうか。発症してから1週間足らずで、早くもアタマの中は、半ば強制的に仕事モードに戻ってしまった・・・

消灯前に、看護師のS木さんが来て、いつものように、体温・血圧の測定と、目薬の点眼。

病院で過ごす晩も4日目。慣れてきたのか、早々に眠りに就いてしまい、夜10時頃から点滴を2本続けて受けた際も、全く気づかずにいた。S木さんの腕が良いんだな。

つづく

2008年6月20日 (金)

帯状疱疹顛末(その9)~入院4日目②

●4月19日(土)

病室の窓際から自分のベッドに戻ってほどなく、看護師のわたなべさんがやって来た。「点滴の時間だ」と思っていると、その前に「目薬を点します♪」と言う。点滴の間隔はようやく分かってきたのだが、1日に4、5回点す目薬の間隔までは、頭に入っていない。看護師さん任せであります。

点眼薬と眼軟膏を付けてもらった後、チューブをつないで点滴開始。

「ずいぶん、手首のほうに(点滴の)針を刺しているんですね♪」

わたなべさんは、点滴のチューブが手のひらにかかっているのが気になっているようで、素早く、サージカルテープを取り出して、チューブが手のひらにかからないように留めてくれました。手を洗うと、チューブを留めてあるテープがどうしても濡れてしまい、剥がれ気味になってしまう。

「前の病院でも、針を刺す場所を見つけるのに大変だったんですよ。『筋肉に覆われています』って言われたけど、ぜい肉だと思うんだよね~」

「あはは♪   そんなことまで考えるんですか♪」

と、わたなべさんは任務を終えて、カーテンの外へ出て行った。すかさず、カーテンの外から、「お世話になっております」との声が聞こえ、入れ違いで、うちの家族が入ってきた。土曜日なので、母親だけでなく、父と妹もだ。今のわたなべさんとのやり取りを聞いていたようだ。

妹は、ワタシの腫れあがった顔を見て笑うやいなや、こう言い放った。

「兄ちゃん、都立病院じゃなくて、こっちの病院で良かったな。今のナース、兄ちゃんの好みの顔だろ?」

両親が居たから、その場は取り繕ったが、さすがは妹だ。図星だ。

そのあと、妹はすかさず携帯を取り出して、ワタシの顔を撮影。「おい!病人をいたわる気持ちはないのか!」

せっかくなので、その写真を公開。(退院してからの後日談で、「帯状疱疹はアズキぐらいの大きさでも痛かったよ」とか「わき腹に10円玉ぐらいのが出来たのでも痛くて痛くてタマランかった」という話を聞きましたが、ワタシのはこんな感じでした。グロにつき注意!)

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写真撮影が終わったところで、今度は父親が仕事の話を持ち出した。ワタシの職場は、オヤジや叔父も含めた同族会社である。給料が20日締めなのと、20日付けの振込みがある。幸いなことに、4月20日は日曜日で、この週末は休日出勤する者がいないため、給与計算は18日の時点で出来る。また、休みと重なった20日付けの振込みに関しては、翌営業日の21日付けで処理すればよいので、時間的な猶予はあるが、後延ばしする必要もないので、見舞いから帰ったらすぐに、時間外手数料が加算されても仕方ないから、ATMで振り込むように指図する。

(普段、ワタシがやっている給与計算については、頑張ってもらおう)

と思った矢先に、23日が退院予定日だと知ったオヤジは、

「じゃあ、24日から仕事してもらおう。給与の支給日(28日なんです)には間に合うだろ?」

と。デリカシーのない言葉だ。

(おい、ちょっと待てよ。昨年、アンタが入院した時は、退院後1ヶ月も出社しなかったじゃないか。そのくせ、給料だけは持って行きやがって)

内心、ムカムカとして、こうした言葉が出掛かったが、妹がすかさず、

「それはひどいよ。3ヶ月ぐらい休ませてあげなよ」

と、擁護の立場に立ってくれた。ハッキリ言って、普段の仕事っぷりからして、オヤジが給与計算を間違いなくできるとは思わない。先ほど指示した振込みも、きちんと出来るかどうか怪しい。

「これまで通りの仕事をさせられてたのでは、退院しても何ら変わらないから、この際、仕事のやり方を考え直してくれ。そもそも、会社でのストレスがほとんどなんだからよ。給与計算については、電話でこちらから指示しながらでもやってもらうよ」

つづく

2008年6月10日 (火)

帯状疱疹顛末(その8)~入院4日目①

●4月19日(土)

寝付きは良かったのだが、夜中に、やはり、患部の痛みで目が覚めた。時計を見ると、3時半過ぎ。前の晩も、このくらいの時間に痛み出したのだろうか? ただ、前の晩のように、蒸しタオルを当てたくなるような酷さの痛みではない。それに、夜9時過ぎに寝付いてから、すでに6時間以上経っているから、これだと、普段の生活の睡眠時間以上だ。そう思うと、気が楽になり、6時の起床時間までは、何とか、やり過ごせそうだ。

朝5時を過ぎると、あちこちの病室から、もそもそと起きだして、トイレに行く人たちが出だす。ワタシも、起床時間より前にトイレに行ってみる。

「おお!昨日と違って、身体が軽い!」

用を済ませて、病室に戻り、自主的に体温を測ってみると、37℃ぐらいまで下がっていた。抗生物質の点滴って、そんなにスゴイのかなと思う。

起床後、検温と血圧測定の後、点滴。やはり2本続けて。これまでは、痛みに耐えるので精一杯で、点滴の本数のことを考える余裕など無かったけれど、数えてみると、1日あたり3回で、前の日から2種類になったので、計6本。1回の点滴で1時間程度かかっているようなので、1日24時間の4分の1は点滴を受けていることになるようだ。

点滴2本が終わり、ようやく朝食の時間。同じ部屋の他の爺さんたちは、もう食べ始めている。熱が下がったので、前の日のように、汗やら鼻水やらがダラダラ流れてくることもなく、すがすがしい。

ワタシがまだ朝食を摂っている間に、この日の昼間の担当看護師さんが病室にやって来た。ワタシは、顔半分が酷くなっているのを見られたくないのと、人が行き来するのがチラチラ見えるのが嫌なので、ベッドの回りのカーテンはきっちり閉めていた。

「担当のわたなべです。よろしくお願いします♪」

元教師の爺さん「あなたも、わたなべさん?」

コマネズミ「あぁ、よろしく~」

などと、カーテン越しに聞こえる爺さんたちの返事はデレデレしていて、かわいい声の看護師さんの登場に、朝からゴキゲンのようだ。

そして、ワタシがパンをかっ食らっている時に、カーテンを開けて、看護師のわたなべさんが入ってきた。

「Burdさん、おはようございます♪」

(「おっ! 若い!」)

ワタシは、パンを持つ手が止まり、かしこまってしまった。爺さんたちがゴキゲンになるのもわかる容姿だ。バレーボールの宝来選手に似ている。

「おはようございまーす」

「目薬はどこですか?」

「テレビの上です」

「あっ、お食事は続けてていいですよ♪」

「はい」

「今日一日、よろしくお願いします♪」

「よろしくお願いしまーす」

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コマネズミ爺さんは、許可をもらって、30分程度の外出をする予定のようだ。それに、「今日は、孫が見舞いに来てくれるかなぁ?」と、楽しみにしている様子。元教師の爺さんは、皮膚科の検査入院のようで、基本的には元気。他の階の自動販売機コーナーの隣にある図書室に行き、本を読んだりしているようだ。隣のベッドの方は、看護師さんの呼びかけには、言葉を返さないけど、トイレには、自分で歩いて行っているようなので、寝たきりというわけではなさそうだ。

朝の皮膚科の先生の回診で、「石鹸を泡立てて、患部を、撫でるように洗っても良いですよ」と言われたので、朝食後の歯みがきの際に、洗面所の水石鹸を泡立てて、鏡を見ながら、患部を恐る恐る擦ってみる。それにしても、酷い顔だ。キレイに洗えたかどうかは分からないが、こういう許可が出たということは、症状としては、ピークを過ぎて、快方に向かっているんだなと、やや前向きな気持ちになる。

昼食までの時間は、点滴も無く、また、土曜日ということで、診察や検査の予定も無いので、ワタシは、ここぞとばかりに、ベッドの上で怠惰な時間を過ごした。幸か不幸か、携帯電話は電池が切れていて、何も見ることができない。1週前の土曜日あたりから充電をしておらず、また、月曜日に痛みが酷くて実家に転がり込んで、そこから入院したので、充電アダプターを持って来ていないのだ。また、だいぶ楽になったとはいえ、右眼の周囲は相変わらず痛いので、テレビを見ようという気にもならなかった。リュックの中に、社会保険労務士講座を録音をしたICレコーダーが有ったのを思い出して、聞いてみるが、10秒も経たずに、アタマにひびいて止める。

結局、午前中は、看護師さんが目薬を点しに来たくらいで、あとは何もなく、ベッドで横になりながら、昼食を迎える。熱が下がると、食欲は回復するのか、昼食はあっさりと完食。量的に物足りなさも感じるが、入院中だと、十分な量なんだろう。

昼食後、トイレやら歯みがきやら洗顔を、のんびりと済ませて、病室に戻ってくると、病室内の椅子やテーブルが廊下に出されて、ワックス掛けが始まっていた。ワックス掛けを行なうことは、午前中からアナウンスしていた。ワタシは、廊下の手スリに寄りかかって、作業が終わるのを待つ。前日のシーツ交換の時は、悪寒がして参ったが、今日は大丈夫だ。コマネズミの名前は「Y爺さん」だというのは知っていたが、病室の入口のネームプレートを見て、元教師の爺さんは「T爺さん」、隣のベッドの方は「Hさん」だと知る。

ワタシの病室の面々のテーブルを見ると、切り花が生けてあるコップがある。濃い黄色のバラのようだ。奥さんか娘さんか、女の人でないと選ばないような色。ワタシは、テーブルを引き寄せるのがおっくうなくらいに弱っていたから、このような花を飾っても邪魔になっただけだなと思ったし、そうではなくても、看護師さん一人ひとりが「花」みたいなものだな。と、負け惜しみに近いような感情が浮かんだ(笑)

黄色い花に近づいて見てみると、テーブルに、判別のために「Y爺さん」の名前が書かれたテープが貼られている。「(悪態をついた)Y爺には、こんな花は似合わないだろ!」と、誰も見ていないのを見計らって、ワタシは、溜まっていた××クソをほじって、黄色い花の上にパラパラと、憎しみをこめて落としてやった。

ワックス掛けが終わり、ワタシは、自分のベッドに戻る前に、初めて、病室の窓際まで行き、病室からの景色を眺めた。(撮影日時は違いますが、こんな風景) くっきりと晴れ渡った日には、前方に筑波山が見えるらしい。窓際のHさんは、横になってテレビを見ていた。やはり、お爺さん。4人部屋で、ワタシ以外の3人は、皆、高齢者だ。

カーテンが開いている反対側のベッドを、ふと見ると、コマネズミが昼寝中。「なんだ、外出してたんじゃなかったのか??」

窓際で、コマネズミの悪口をつぶやかなくて良かった。危うく、ワタシが、コマネズミに悪態をつくところだった。

つづく

2008年5月26日 (月)

帯状疱疹顛末(その7)~入院3日目②

●4月18日(金)

患部の痛みについては、点滴やブロック注射で和らいでいるようで、入院してからは、横ばい、もしくは、快方に向かっているのかと思っていたのだが、体温が上昇し、まぶたが腫れて、目がほとんど開いていない状況では、帯状疱疹の症状のピークはまだまだ先のようだ。

ブログをアップした後、携帯電話を手にしたまま、なぜか、悪態ジジイの渾名を考え出す。小柄なジイさんだが、虫けらみたいに扱うのは、自分の主義に反する。白髪頭で前髪を立てている姿はヒヒのようにも見えるが、病棟内を歩き回っている姿とは、ちょっとかけ離れている。次に、小動物で、ジジイの姿に相応しいものを思い浮かべる。イタチ? モモンガ? ネズミ? ちょこちょこ歩き回っている姿から、ネズミが良さそうだ。さらに、携帯電話でいろいろ検索して、「コマネズミ」とする。ハツカネズミと呼ぶほどのかわいらしさは、悪態をついたジジイには無い。

この日の夜の担当看護師さんは、前日の昼間の担当だったワタナベさん。元教師の爺さんが、「昨日も担当だったのに、大丈夫なのかい?」と心配りをしているが、本人からは「たっぷり寝てきましたから大丈夫ですよ!」と頼もしいお応え。

夕食にはカレーライスが出た。海上自衛隊と同じで、入院患者が曜日の感覚を忘れないために金曜日にはカレーが出るのかな? はたまた、昼食のカレイの煮付にも掛けているのか?  やや甘口だったが、カレーライスは好物なので、飲み込みやすい。ただ、いつもは、カレーを流し込むように食べているのに対し、入院中の今回は、胃腸への負担を軽くしたいという殊勝な(笑)思いから、良く噛むように心掛けた。

この日、ベッドの中にいる間は、ずっと、氷まくらを股に挟んで過ごしていたし、加えて、抗生物質の点滴、さらに、ブロック注射の効き目もあるのか、夕食後の検温では、38℃台にまで戻る。昼ごろが帯状疱疹のピークだったのだろうか? そう思いたい。

就寝前には、看護師さんが目薬を点してくれます。「Burdさん、目を開けられますか?」と、ワタナベさんが聞いてくる。「そうかぁ、もう、右眼はふさがっているのかぁ~」と思いながら、おでこに皺を寄せるように力を入れてみると、まぶたが開いた。ワタナベさんは、「あっ!開きましたねぇ!」と喜んでくれている。「奇跡です」と、ワタシは答える。

目薬を点してもらいながら、「Y爺さん(悪態ジジイ、コマネズミ)、今、居ないよね?」と、ワタナベさんに、コマネズミ爺さんが部屋に居ないのを確認してもらって、前の晩の、コマネズミ爺さんが薬を拒否して、マリエさんと言い争いをしていたことを話す。今晩も、同じような言い争いがあっては、気分が悪い。

ワタナベさんは、「(前の医者に処方された薬を要るか要らないかは、)本人が要らないと言ったら、別にいいんですけどね」と、ホンネをちらりと言う。

コマネズミ爺さんは、消灯前に、手術を受けた鼻に詰めた綿球への血の滲み具合をチェックされ、その際に、前にかかっていた医者から処方された目薬を点すことになっているようだ。本人の言い分は、「耳鼻科にかかっているのだから、もう、目薬は必要ない」ということらしい。

綿球の確認をした後に、ワタナベさんがどのように対処するのか、ワタシは耳を澄ましていた。

「Y爺さん、前のお医者さんからの目薬は、もう点さなくて良いんですね!!?」

「・・・はい」

Y爺さんは力なく答えた。ワタナベさんの圧勝であった。ワタシは、ベッドの上で、あまりにもあっけないやり取りに、にやけてしまった。

日曜の晩から、かれこれ5日間、まとまった眠りについていなかったが、薬や点滴、ブロック注射のおかげもあってか、この晩は、すんなりと眠りにつくことが出来た。夜10時からの、2本続けての点滴の際も眠ったままだった。

つづく

2008年5月22日 (木)

帯状疱疹顛末(その6)~入院3日目①

●4月18日(金)

ジジイの怒号を聞いた衝撃から、眠りにつくことが出来ない。夜10時からの点滴の時も眠れないでいた。

どれぐらいの時間が経ったか分からないが、そのうちに、頭が痛み出してきた。ナースコールで呼んで、蒸しタオルを持ってきてもらい、患部に当てる。頭は右手で蒸しタオルを押さえて温める一方、腰のあたりは左手でアイスノンを押さえて冷やすという、結構苦しい状況で維持する。

ところが、そんな体勢を続けているうちに、寒気がしだしたので、アイスノンをベッドの下に放り出す。患部が痛み出したのも、寒気がしだしたのも、みんな、あのジジイの所為だと思い、ジジイに対して憎しみの感情が湧いてくる。結局、朝までまともな眠りにつけずにいた。

起床直後、採血があった。血を抜きながら、マリエさんが「眠れましたか?」と聞いてきたのだけど、ウソを言ってはいけないと思い、「昨晩のあの騒ぎを聞いてから、熱っぽくなって眠れなくなった」と伝えた。「申し訳ありません」と謝るマリエさんに対し、「いや、あのジジイが悪いんだよ」と、カーテンの外に声が漏れないように小声で言う。

マリエさんはおとなしそうな感じなので、誰でも物が言い易いのか、ワタシも「ストレスが原因でなった病気なのに、病室でもストレスを感じてしまったら、もっと悪くなってしまうよ」と愚痴をこぼしてしまう。そんなことを言ったりしたバチが当たったのか、起床時の体温は38℃台に突入。夜中にアイスノンを放り出してしまったことをマリエさんに話したら、「アイスノンを太ももで挟んでください」とのこと。これなら、片手が空くので良さそうだ。引き続いて、朝食前の点滴を行う。

点滴を受けながら、ふと「痛みが退かず、熱も高いからといって、愚痴をこぼすようなマイナーな気持ちになってはダメだ」と思い、悪態をついたジジイを反面教師として、ワタシは、さわやかに、カーテンの向こうのジジイにも聞こえるよう、これまで以上に大きな声でお礼を言うことにした。さっそく、朝食が運ばれてきた際に、「どうもありがとうございまーす!」と、他の面々に聞こえるように言う。

熱が高くて、汗だか涙だか鼻水だか分からないものがダラダラと流れて口の中に入り込んできたけど、朝食は全部食べきった。一日の初めの朝食だけは、きちんと食べようと思う。

この日の昼の担当看護師さんは、ベテランっぽいS藤さんと、新人のY川さん。2人にも、「よろしくお願いしま~す!」と元気に挨拶。ついでに、アイスノンが温まってしまったことを伝えると、「アイスノンが不足してますので。これのほうが持続時間が長いはずですよ」と、氷まくらを持ってきてくれました。最近ではあまり見ることがなかったので、非常に懐かしい。氷まくらを股に挟んで、横になる。

午前中は、この日もやることが少ない。前日と同様に、新人研修の一環として、着替えと身体拭きがあった。前の晩から熱っぽかったので、下着だけでなくパジャマも、かなり汗で湿っていた。

他、シーツや枕カバーの交換もあった。交換している間、ベッドの脇にある椅子に座って作業が終わるのを待っている時に、急に悪寒がしだした。風邪が酷いときと同じ症状だ。そんな状態でも、交換が終わった後は、「ありがとうございま~す!」と気力を振り絞って お礼を言う。

昼食には、おかずにカレイの煮付けが出たのだが、骨から上の半分しか食べられなかった。箸を持つのもダルくて、骨から身をはがす気力がなかった。そして、ついに、昼食後の検温で、体温が39℃台にまで上昇。食後に鎮痛解熱剤を飲んでいるにもかかわらず、この体温は結構な状態。「抗生物質の点滴を追加しましょう」ということになった。

この日、母親は、午後一番の早い時間帯にやって来た。来るなり、「ひどい顔になったわねぇ」という。ダルさで重たい身体を引きずるようにして、歯みがきをしに行き、鏡を見ると、確かにひどい。髪の生え際からまぶたにかけて、右半分だけが腫れ上がっている。目の周りにパンチを食らったボクサーのような顔だ。

点滴を増やしたことにより、午後2時からの点滴は早まって開始。点滴を始めたところで、麻酔科からの呼び出し。「点滴打ちながら、ブロック注射しても良いんですかね?」と、ベテランのS藤さんも不安げ。念のため、麻酔科に確認してもらうと、「問題ない」ということで、新人看護師のY川さんが車椅子を押してくれて、ワタシは点滴を支えながら、麻酔科へ。ここで、母親は帰って行った。

麻酔科では、ベテランの先生(M先生)がこの日の担当でした。先生は、腫れているところに、消毒用の湿った脱脂綿を当てて、「冷たいの、感じる?」と聞いてきましたが、全く冷たさを感じません。触られても分からない。完全にまひしています。先生は、「まだまだ、先は長いぞ~」とおっしゃる。そして、首に注射。これまでに受けた2回のブロック注射よりも、時間が短く感じられました。注射後は安静にする。

安静にしていた時間が長かったせいか、点滴が終わってしまった。小顔の看護師さん(ヤブさん)が、生理食塩水をつないでくれて、「もう大丈夫ですよ」ということで、車椅子に座って、迎えに来てもらうのを待つ。前の日と同じ、食事を給仕してくれるおばさんが迎えに来てくれて、病室へと戻る。病室に戻る途中、悪態をついたジジイとすれ違う。ふらふらと歩き回っているようだ。「おい、人の顔をジロジロ見るな!」と、心の中で叫ぶ。

病室に戻ってからは、引き続いて、抗生物質の点滴。点滴をしている最中は冷静になれるのか、ここで、このブログにアップすることを思いつく。携帯電話の電源を入れると、予備校時代の友人からのメッセージが数々。前の晩に、見舞いに来てくれたらしいが、かかっている科も病室も分からないから門前払いを食らったとのこと。きちんと返信する。そして、ブログにもアップする。

つづく

2008年5月19日 (月)

帯状疱疹顛末(その5)~入院2日目

●4月17日(木)

トイレに行った後、薬が効いてきたみたいで、痛みが少し治まっている間は眠れたりしていたのだが、突然、急激な痛みが患部に興って、ガバッと飛び起きた。

ベッドに腰を掛け、頭を抑えてうずくまっていたら、巡回していた看護師のS口さんが気づいてくれたので、患部を温めるための「蒸しタオル」を持って来てくれるようにお願いしました。(皮膚科の先生には「蒸しタオルを用意しておきます」と言われていた)患部に蒸しタオルを当てると痛みが和らぐ。とりあえず、朝まではこれでやり過ごす。

病院では、朝6時に起床ということになっているのだが、はす向かいの初老男性の携帯のアラームが5時に鳴ってビックリする。「何だよ~」と思っていたら、今度は6時に、ワタシの携帯のアラームが、電源を切っていたにもかかわらず鳴り出した。しかも、「おはようございま~す!朝ごはんをしっかり食べて、元気よく出かけましょう!」という、着ボイスをダウンロードしたものなので恥ずかしい。動くのはしんどいが、何とかリュックの中の携帯を取り出して、アラームを消す。

起床時の検温と血圧測定の後、ワタシは、朝食前に点滴。はす向かいの初老男性は「管を抜いてくれ!」とS口さんに訴えるが、「先生でないとできませんよ。9時過ぎまで待って下さい」とあしらわれている。

点滴が終わった頃に朝食が運ばれてきた。前の晩の夕食の時に要領が解ったので、ベッドを起こし、テーブルを引き寄せて、朝食を摂る。物を食べるのもしんどいけど、「体力を付けなくては」との思いから、パンを半分残した以外はすべて食べた。

朝食後の薬を用意したところで、夜勤のS口さんの担当は終わり、今度は、坂井真紀に似たワタナベさんと、クワバタオハラのクワバタをキレイにしたような新人のMさんが昼間の担当。この時はメガネを掛けていたので顔が良く見えた。「何かありますか?」と早速聞いてきたので、トイレに行く旨を伝えると、新人研修も兼ねて、Mさんが車椅子を押してくれてトイレへ。用と歯みがきを済ませたら、便所内のナースコールを押して、迎えに来てもらう。便所の場所は分かったし、無理すれば歩けないこともないと思えたので、何だか恐縮する。

午前中、何もしないでベッドに横になっている時間が多いが、「こんなんで良いのかな?」との思いが頭をめぐる。入院することが初めてなので、時間の流れ具合がわからない。逆に言えば、これまで、あくせくして生きてきた証拠なのだろうか?でも、何もしない時間が多いことで、快方に向かっているような気がした。

新人研修第2段は、着替えの手伝いと身体を拭くこと。替えの下着とパジャマを看護師さんに取ってもらって、太った身体をさらけ出して着替え。上半身は、新人のMさんが拭いてくれて、腰から下は、タオルを渡されて、ワタシ自身が拭いた。もちろん、下半身は布団の中です。着替えの後、「ちょっと熱があるようなので」とアイスノンをもらう。患部である頭は冷してはいけないので、どこを冷すのかと思ったら、「そけい部を冷してください」という。具体的な場所は良く分からないので、腰骨の辺りに当ててみる。

通路を挟んだ向かいのベッドに、新しい入院患者がやって来た。看護師さんに、「私は50年教師をやっていて」云々の話をしている。口うるさい爺さんでなければ良いが。隣のベッドには患者さんがいるが、看護師さんの呼びかけに対して、言葉を発していない。

都立病院で処方された目薬は、ワタナベさんが点してくれました。軟膏は、綿棒の先に付けて、下まぶたに塗ってくれます。腫れぼったいまぶたに触らせてしまって申し訳ない。ワタシの病気、「帯状疱疹」がウィルス性の病気だということで、ちょっと心配になり、目薬を塗るワタナベさんに、「看護師さんや同じ部屋の人にうつる心配は無いんですか?」と聞いてみると、「うつるような病気だったら、隔離されてますよ」と言われて、納得する。

昼食は、つけ麺形式のうどんで、美味しく食べることが出来た。麺類は飲み込むのが楽なことを知る。

昼食後、横になっていたところに、教授回診があった。教授先生をはじめ、担当の皮膚科の先生たち、さらに、10名程度の学生たちの御一行。教授先生は「絶対良くなりますよ。皮膚もきれいに戻ります。大丈夫ですからね」と安心させてくれるお言葉。

教授回診以降は、2時からの点滴以外に、空いた時間を利用して、本来なら入院初日にやるべきだった身体測定と、レントゲン撮影、心電図を行なった。身体測定は、スタッフステーションの傍なので歩いて行けたが、レントゲンと心電図は「迷うといけないから」ということで、食事を給仕してくれるおばさんが車椅子を押して連れて行ってくれて、またまた恐縮する。

都立病院では「毎日打ちます」と言っていたブロック注射は、ここでは毎日ではないようで、今日はお休み。

母親は、レントゲンから戻ってきた頃にやって来た。皮膚科の若い先生からは、「水分を多めに取ってください。スポーツドリンクでも良いですよ」と言われていたので、ミネラルウォーターとポカリスエットを母親に買ってきてもらった。病院の1階にセブンイレブンがあるらしい。今朝のアラームの話をしたら、気を利かせて目覚まし時計も買ってきてくれたが、電池が付属していなかったので、再度、セブンイレブンに行って、電池も買ってきてくれた。母親にも恐縮する。

ただ、「電波時計」ということで、電池を入れたら勝手に時間が合ってくれるものかと思っていたら、そうではなくて、一眠りして時計を見たら、とんでもない時間を現していたので、パッケージの説明書を見て、合わせる。

この日の夜の担当看護師さんは、前日の昼間の担当であったマリエさん。目が悪いので名札は見えないのだが、渡された「入院治療計画書」への署名で、名前が分かった。丸顔で、落ち着きのある感じです。

夕食は、ごはんを少し残した以外は、全部食べた。自力歩行で、トイレ、歯みがきを済ませ、夜9時の消灯前には眠りについていたのだが、突然の怒号で目が覚めた。はす向かいの鼻の手術をしたジジイが、「点滴を外せ!」だの「薬はもう要らない!」だの、マリエさんに対して怒鳴りつけている。マリエさんも使命感からか、「できません!」「ダメです!」の一点張り。騒ぎが一段落したところで、この日入院したばかりの元教師の爺さんが、マリエさんを呼び止めて、たわいのないことを聞いていたが、実際には、いじめられた子を気に掛けるかのように、マリエさんの様子を窺っただけのようだ。

ワタシは、騒ぎを聞いて熱っぽく感じたので、試しに体温を測ってみたら、37.7℃。入院してから最も高い数値だ。アイスノンを持ってきてもらうのと、やはり、先ほどのことが気になったので、ナースコールで呼んで、マリエさんに来てもらう。別に、泣いたりした様子でもないし、気丈だ。夜10時からの点滴は今晩もあるとのことを確認する。

それにしても、あの小柄なジジイ、小水の管を抜いたら、水を得た魚のように病棟を歩き回っているようだし、看護師さんには悪態をつくし、どうやら厄介者のようだ。

つづく

2008年5月18日 (日)

帯状疱疹顛末(その4)~入院当日②

●4月16日(水)

わが人生初めての入院である。

はす向かいのベッドの初老の男性が、これから鼻の手術をするようで、付き添いに来ていた奥さんや娘らしき女性と話していてウルサイ。傍にいる母親に、リュックの中の筆入れから「耳栓」を取ってもらって、すかさず、耳に押し込んだ。

ほどなくして、皮膚科の先生方や看護師さんたちがワタシのもとへやって来て、病状の問診をするとともに、看護師さんが手際よく、体温と血圧を測る。右腕で血圧を測ったら高い数値が出たので、左腕でも測ってみたら、さらに高い数値。「一家揃って高血圧の家系なんです」と伝える。

続いて、麻酔科へ行ってブロック注射を打ってもらって下さいとのこと。「同意書に署名が必要なので、念のため、お母さんも一緒に説明を聞いたほうが良いでしょう」とのことで、場所を教えてもらって、母親とともに歩いて向かった。「入院した」という安堵感から、歩いて行ける気力が有ったようだ。途中、下に降りるエレベーターでは、同部屋の、鼻の手術に向かう初老男性と一緒になった。身長が160センチにも満たないような小柄な男性だ。

麻酔科では、担当のI先生が、前日の都立病院の先生と同様に、ブロック注射の説明。自分ひとりで対応できたので、母親には病室に戻ってもらった。この日も同意書に署名して、首すじにブロック注射。I先生が実施。眉毛への注射は、「発疹が出てきているので止めましょう」ということになりました。

注射後、30分ほど安静にしていて、「もう、大丈夫ですよ」ということで、病室に戻ることに。病室へ戻る順路は覚えていたが、6基あるエレベーターが厄介モノで、「どれが来るかな?」と見まわしているだけで、頭がおかしくなりそう。間違えずに上行きのエレベーターに乗って、病室へ戻り、ベッドにもぐり込む。ワタシが麻酔科で安静にしている間に、母親が入院手続きを済ませてくれていた。

今度は点滴。誰がやっても、私の腕には刺さりづらいようで、あちこち探った後に、左手首に近い箇所に針を刺して点滴開始。母親は点滴が始まった時点で帰って行った。ワタシは力尽きて眠り込んでしまった。痛みはあるが、久々にぐっすり眠った気がする。

点滴が終わった後、看護師さんが「入院時の身長と体重の測定をしますが、動けますか?」と言って来たが、腑抜けて起き上がれなかったので、明日以降にしてもらうことにした。そのまま、ベッドに寝転がる。

しばらく寝転がっていたら、今夜の担当看護師のS口さんがやって来ましたが、横になっている間はメガネを掛けていないので、顔が全然分からない。(視力は裸眼で両目とも0.1以下)「何かあった時にきちんと判別できるのか?」と不安になるが、白衣を着た人なら誰でもいいのかなとも思う。

そのうちに、夕食が来た。「薬を飲まなくてはいけないので、メロンだけでも食べてくださいね」とのこと。自分の箸が有るかどうか分からないので、割り箸をもらい、ついでに、ベッドの上までテーブルを移動してもらった。自力で起き上がろうとするが、そういえば、ベッドの操作方法やナースコールなどの説明をしてもらっていたの思い出して、ベッドを操作して起き上がる。夕食は、おかずは少々、ごはんは一口しか食べられなかったが、メロンは全部食べられた。身体が弱っている時は、果物は、良く喉を通るようだ。

薬は、食後に、粉末1種類と錠剤3種類。他、都立病院で処方された目薬は、軟膏を1日5回、点眼薬は1日4回、看護師さんが点してくれるようだ。

同部屋の、鼻の手術を受けている男性は、夜になっても手術が終わらないようで、付き添いの2人が残っているのだが、ベラベラと話しをしていてウルサイ。話の内容も、買い物の情報交換などで、男性を心配するような内容ではない。結局、男性は夜8時過ぎぐらいに戻ってきたが、この男性も、ダミ声で「痛い!」だの「(小水の)管を抜いてくれ!」だのウルサイ。相部屋だと、こういうのにも耐えなくてはいけないのかなと思う。

ブロック注射に点滴、さらに、食後に薬を飲んだところで、劇的に痛みが退くわけでもなく、昼間、いくらか眠れたこともあってか、夜9時の消灯後も、寝返りを打っている状態。10時過ぎからは、もう1本点滴があった。

初めてのナースコールは、点滴の後、しばらくして、トイレに行きたくなった時。この病室に来て、真っ先にベッドに寝転んだので、トイレの場所を知らなかった。看護師のS口さんが車椅子を用意してくれてトイレへ。皮膚科の先生には、「検便をしてください」と言われていたので、小水の他に、ウォシュレットを駆使して、甘栗程度の大きさの便を3つほど出した。よくよく考えてみたら、日曜日の昼食以降3日間、大した固形物を食べていないので、出るものも出ない。

検便の容器に採取し終えて、手を洗ったところで、便所内のナースコールを押して、迎えに来てもらう。痛みで、自分ひとりで動けないもどかしさから、自然と感謝の念が湧いてきた。

つづく

2008年5月15日 (木)

帯状疱疹顛末(その3)~入院当日①

●4月16日(水)

ベッドの上で痛みをこらえながら、朝を迎えた。鎮痛剤を服用するために、牛乳がけのシリアルとみかんの缶詰で朝食。昨日のブロック注射と点滴のおかげか、はたまた、今日から入院できるという安堵感からか、これまでよりは食が進んだ。

母親が「ヒゲを剃れ」と言う。5日ぐらい伸ばしっ放しだった。右眼は相変わらずの痛みなので、左眼だけで見ながら剃ろうと、T字カミソリを手に持って鏡を見た瞬間、自分の顔の変貌に驚く。右眼のまぶたの厚さが倍ぐらいになり、眼球は梅キャンディのように充血。これまでは、痛みだけが先行して、見た目の変化はあまりなかったようなので、かなりおののく。

入院の際に必要な洗面用具などは、昨年、父親が入院したときの物をそのまま流用できた。パジャマも3着、父親のを借用。下着だけは、昨晩、3~4枚ずつ買ってきてくれていたようです。

都立の総合病院の入院窓口には、朝10時までに行くことになっている。この日は、迷わずタクシーで病院へ。また母親付き添い。春の日差しが降り注ぐおだやかな陽気だが、ワタシは患部をタオルで抑えて、痛みをごまかしているのみ。タクシーの座席でずり落ちそうな体勢のまま病院へ到着。

ちょっと時間は早いが、入院窓口へ行ってみると、やはり病床が空かなかったようで、「皮膚科の外来へ行ってください」と言う。ワタシも寝込んでばかりで母親には伝えていなかったが、母親は、病床が空かなかった時のことを聞いていなかったようで、ちょっと怪訝そうに皮膚科外来へ。

皮膚科の待合所は前日同様に盛況だが、ワタシは「昨日辛そうにしていた患者さん」ということで、皮膚科の処置室にそのまま通されて、ベッドに横になって先生を待ちます。ほどなくして、先生が処置室へ。

「痛みはどう?」

「昨日の注射と点滴のおかげで酷くなってはいないと思います」

「帯状疱疹の処置としては早いうちから行なっているから大丈夫ですよ」

という有難いお言葉。ここで、東京医科歯科大学の病院に入院するように言われ、皮膚科診察室をあとにしました。

母親が、会計窓口で、今日の診察分の会計を済ませたところで、「もうちょっと待ってろ」と言う。「都立の病院だと入院時の保証金が要らないが、医科歯科大の病院だと要るだろうから、その分のお金を父親に持ってきてもらう」とのこと(実際には東京医科歯科大は国立大学法人なので、入院時の保証金は不要だったのですが)。一家を巻き込んでの大ごとになっております。

父親が来るまでの間、ワタシはわずかな力を振り絞って電話ボックスへ行き、捻挫の治療のために通院していた整骨院の先生(身体の不調は伝えてあった)と、誘われていたゴルフコンペを断りにゴルフの先生に電話を入れました。お二方とも「ヘルペスが出るんじゃ、大変だったんですね」と理解を示してくれたのが嬉しかった。あと、卓球仲間の予備校時代からの友人にはメールで連絡。このブログにアップするという判断力は、この時点では有りませんでした。

連絡を終えて、会計窓口の待合所で横になっていたところで、知らぬ間に父親がお金を持って来たらしく、ようやく、タクシーで御茶ノ水の東京医科歯科大の病院へ。陽気がいいからタクシーの運転手さんは窓全開で走っているが、渋滞している靖国通りでは排ガスが車内に入り込んできて参る。

東京医科歯科大学の病院のタクシー乗降場は地下1階の出入り口に直結。都立病院の先生からは「皮膚科の外来に行ってください」と指示されたが、初めて来る病院で全然わからないので、まず1階の案内へ。

案内では、小柄な年輩の白衣を着た女性が応対してくれました。相変わらず、顔をタオルで抑えて、立つのもつらそうにしているワタシを見て、その女性はすかさず車椅子を用意してくれました。車椅子に乗るのも初めての体験。恐縮ながら、その小柄な年輩女性に車椅子を押してもらって、エレベーターに乗り、3階の皮膚科外来へ。車椅子に座っている状態で目線が低いのも、慣れていないと恐いですね。皮膚科外来では既に話が付いていたようで、そのまま今度は皮膚科の病室へ、引き続きその女性に車椅子を押して行ってもらいました。

車椅子の上でうな垂れながら、ようやく病室に到着。自分のベッドは4人部屋の入口側。即行でパジャマに着替え、ベッドに転がり込む。これから後は快方に向かうことを願って。

つづく

2008年5月14日 (水)

帯状疱疹顛末(その2)~都立病院にて

●4月15日(火)

朝、右眼の周囲から頭部にかけての痛みで、物を見るのがしんどい状況。朝食は用意してもらったが、ちょっと箸を付けただけ。だけど、たまたま有った桃の缶詰だけは、美味しく食べることが出来た。

都立の総合病院までは、電車を乗り継いで1時間弱ぐらい。ラッシュ時と重なるので、情けないが、母親に付き添ってもらった。電車の中では右眼をタオルで軽く抑えて痛みをごまかすのと眩しさを防いでいたが、涙が止まらない。熱っぽさもあるようだ。途中、乗換駅の改札で、パスモをタッチし忘れて引き返すが、タッチしたかどうかも分からないぐらい、意識もハッキリしないフラフラな状態で病院に到着。

病院では、まず初診受付窓口にて「外来患者へのしおり」みたいのを渡されるが、そんなのは見る気力が無く、ひたすら頭を抑えてうずくまっている状況。やっとのことで、診察申込書を記入して、ようやく眼科の待合所へ。ここで、他に用事があるという母には帰ってもらった。

眼科では、まず、視力検査と眼圧の測定。一旦、外の待合所へ出た後で、今度は先生の診察。穏やかな感じの女医センセイでした。先生は患部を一目見て、「視力や眼圧は異常ないようですから『帯状疱疹』ですね。ヘルペスです。この後、皮膚科を受診できるように連絡しますね」と、その場で、すぐに「帯状疱疹でつらそうにしている患者さんが居ますのでお願いしますね」と皮膚科に電話してくれて、私は、皮膚科に行くように促されました。ここで、ようやくワタシは自分の病気が何か分かりました。ここ数日、痛みが酷くなってからの間、鏡を見ることはありませんでしたが、眼の周りが腫れぼったくなってきていたようです。

眼科の診察室は1階の受付の傍に有ったの対し、皮膚科の診察室は2階。眼科の女医センセイが場所を教えてくれたので、難なくたどり着いたが、皮膚科の待合所は空いている椅子を探すのが困難なほどの混雑。空いている端っこのほうに座って、うずくまったり、仰け反ったりして、ひたすら痛みをこらえるが、だんだん熱っぽくなってきて、虚脱感に被われる。

眼科の診察が終わったのは、朝の10時前だったと思うが、皮膚科で呼ばれたのは、待合所にあるテレビで、NHKの朝ドラの再放送が始まった午後1時近く。やっと皮膚科の先生に診てもらえました。自分と同年代であろうと思われる皮膚科の先生は、パソコンの画面で、「水ぼうそうのウィルスが、ストレスなどにより免疫力が低下した際に、再活性化して起こる病気です」と帯状疱疹の原因を説明してくれて、ようやく、自分が罹った状況に合点がいきました。治療としては、点滴とブロック注射を続けること。「入院する?」と聞かれた時には、一刻も早くこの痛みから抜け出したいので「はい」と即答し、あと、今日これから、ブロック注射と点滴を打つこと。入院前の検診として、血液検査・尿検査、心電図、レントゲンを受けること。それと、それらの前にもう一度眼科へ行くこと。ブロック注射は麻酔科で1時半に受けること。明日、入院の準備をしてきてもらうけど、病床が空かなかった場合は他の病院に入院してもらうこと。などを矢継ぎ早に説明されて、手順を示した紙をプリントアウトして渡されました。

それからは、まず、眼科の先ほどの女医センセイのところへ行って、目薬の処方をしてもらい、また、女医センセイに場所を教えてもらって、血液検査と尿検査。物を見るのが困難な状況で、血液検査の試験管の名前をきちんと確認しませんでしたが、検査室は空いていたので大丈夫なはず。

続いて、麻酔科。呼ばれて診察室に入り、またまた、この日2人目の女医センセイから説明を受けました。星状神経節ブロックと言って、首すじに注射を打つこと。注射の後、のどがかすれること。30分ぐらいは安静にすること等等。いきなり、首すじに注射を打つなんて寝耳に水で、心構えが全くありませんでしたが、同意書に署名して、すぐ隣のベッドの上に仰向けに寝ました。ワタシよりも若いであろう、その女医センセイが注射を打つようです。首すじを消毒した後、指でつまんで、ここというところに針を刺されました。針が刺さっている時間は十数秒ぐらいでしょうが、場所が場所だけに不安が一杯。針を刺したところを止血のために抑えていたら、今度は、「眉毛のところにも打ちます」という。すでに1本打たれて、感覚が鈍っていたから、引き続き眉毛のところにも打ってもらって、ブロック注射は終了。しばらく安静にしていて、30分経ったことを知らせるタイマーが鳴ったので、そそくさと麻酔科を後にしました。

あとは、心電図とレントゲン。心電図を取る時に、ほんのわずかな時間でもベッドに横になれるのが嬉しい。レントゲンは機器にもたれかかるようにして撮影。と、病院内をふらふら彷徨いながら、一通り終わって、再び皮膚科へ。

皮膚科では点滴。本来なら、椅子に座って点滴を受ける場所があるのだが、椅子に座っているのも困難な状況なので、診察室のベッドに横になって点滴を受けることに。実は、ワタクシ、点滴初体験。最近運動していないので、皮下脂肪が溜まり(看護師さんは「筋肉が多いですね」と言っていたが)、なかなか針を刺す箇所が見つからないので、肘の内側の、先ほど採血の際に刺したところに針を刺して点滴開始。早く楽になりたいです。

看護師さんが「入院の手続きは自分で出来そうにないですね?」というので、素直に「はい」と答え、実家に電話を掛けて、再度、母親に来てもらいました。点滴中、ワタシは眠っており、その間に母親が来て、点滴終了時には、入院の手続きが済み、処方された薬も受け取っておりました。

点滴終了をもって、今日の診療は終了。立つのもしんどい状況なので、タクシーで帰宅。家では、処方された鎮痛剤を空きっ腹で服用するわけにはいかないので、なんとか夕食を摂りました。ブロック注射と点滴のおかげで、少しは活力があるかな。あと、帰り際に「帯状疱疹は温めたほうがいいですよ。入浴も大丈夫」といわれたので、久々に湯船につかる。温まっていると、少しは楽になったような気がした。ただし、痛みのために、まだまだ熟睡は出来ず。指示された時間の通り、夜中に、ヨーグルトを食べた後に、鎮痛剤を服用して、あとはベッドの上で寝返りをして、痛みをこらえているばかり。

つづく

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